自然の「結界」を破った人類
2020年4月号
LIFE [病める世相の心療内科㊴]
by 遠山高史(精神科医)
絵/浅野照子(詩画家)
私たちは目下カオスと戦っている。あるいはカオスの穴に落ち込まぬよう必死でもがいているというべきか。カオスとは、自然の一つの側面である予測不能の状態であり、そこから形や構造が生じることはない。自然はしかし、生きとし生ける物を産み出す場も有しており、そこを「カオスの縁」と呼ぶ。自然が作る境界のような働きによって生命がカオスと対峙する領域であり、人類は本来そこに住まうべきものである。しかし、いつの間にかカオスそのものの中に落ち込み始めていないか。その兆しを新型コロナウイルスの到来から感じざるを得ない。
新型コロナは、自然界の予測不能の領域からやってきた脅威であるが、春が過ぎて夏が来る頃にはインフルエンザなど多くのウイルスと共に収束してゆくと予想される。しかし、従来のインフルエンザなどとは一味違った、なかなかの手強さを感じざるを得ない。このウイルス、人類の免疫力低下を予測していたかのごときところがあるからである。世界中で懸命の対策がなされているが、結局このウイルスに終息をもたらすのは人々の免疫力と、本来ならそれを強化に導くはずの自然の変化であろう。
新型コロナはあまりに自然のルールを無視してひたすらスピードを上げ、効率化や快適さを求めてグローバリゼーションを進めた人類に対する自然からの警告かもしれない。地球温暖化も人類の節度を超えた豊かさ追求の帰結といえるが、人類がグローバル化を進めるため、自然が設けた一線を破ったことでウイルスの侵入も容易にしたことは間違いがない。
仏教や神道には「結界」という言葉がある。聖なる場所と魑魅魍魎が跳梁する世界を分かつところで、半端な心掛けでみだりに破ってはならぬものである。自然には数学では表現できない法則のようなものが存在するが、それも結界である。例えば、共食いをさせない働きが分かりやすい。人間は、さばいた牛の骨を粉末にして、餌に混ぜるとミルクの出がよくなるという効率重視の考えから、草食動物の牛に仲間を食わせる共食いをさせた。おかげで、自然には決して起こらないはずの狂牛病を蔓延させた。結界(自然が設けた境界)を破ったことが原因である。
歴史に残る様々な疫病の蔓延もまた、結界を破ったことに依っている。世界に広がったエイズも、アフリカのローカルな風土病であったが、利益追求のためアフリカ大陸を縦横に走る道路が造られたことで、蔓延したといわれる。日本のゼネコンも建設に関与したとされるこの道路には過激派が出没し、今も殺戮を重ねているという。
カオスの縁に棲む者は絶えずカオスからの脅威と戦わねばならない。それが生き物の宿命である。カオスの縁は、目には見えないが、身体でいえば外敵から身を守る免疫もそれに属する。しかし、あまりに快適さと安寧を求めてきたため、私たちの免疫力は心もとなくなりつつある。 不思議に聞こえるかもしれないが、本当に健康な人は大抵、自分の免疫力を自覚している。すなわちカオスの縁なるものが何たるか体験的に感じ取っている。そういった人に共通するのは、こまめな運動を厭わず、何でも食べるが食べ過ぎず、そしてよく寝る。そしてめったに検査などに行かない。