病める世相の心療内科㊷

「精神的免疫力」高めるカオス空間

2020年7月号 LIFE [病める世相の心療内科㊷]
by 遠山高史(精神科医)

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絵/浅野照子(詩画家)

コロナは事実上、全世界の人々を人質にとった。人は逃げるに逃げられない。この不安な状況は、ある種の精神病に陥った人々が感じる不安と同質のものである。ひとたび精神の病にとらわれれば、逃げ出そうともがいても簡単には逃げ出せない。その苦しみは名状しがたいほどのものであるが、同じように私たちはコロナがもたらす不安から逃げ出すことは決してできない。

おそらくこの不安を最終的に克服するにはコロナに対する免疫を人類が獲得する以外ないかもしれない。実際、この短期間で精神を病むに至った人も少なくない。ただタフに耐えている人もいて、この耐えている人々にはある種の精神的免疫力があるように感じられるのである。

このウイルスが厄介なのは、人々の触れ合いを遮ろうとするところにある。蔓延を防ぐために人と人との関係が密となることを避けねばならないとされているが、人類はこれまで高い密度で群れることでさまざまな困難に打ち勝ち、地上に繁栄し得たのである。

オンラインでの交流が一定の意味と役割を持つことはあっても結局、人は人との直接の触れ合いなくして存続し得ない。カオス理論においては、新しい事象が生じるためには常に要素間の密度が必要とされているが、私の人生経験からも同じようなことが言える。生きていくのに必要な力や困難に対する免疫力は生後間もないころの過密な環境で得たと思われるのである。  

私は業種柄、多彩な境遇の人と対面しなくてはならない。ただ薬を出せば済むとはゆかず、一歩踏み込んだ関係を作らねば良い治療効果は得られない。例えば、かなりの緊張を持って臨まねばならない患者がいる。巧みに私を巻き込み、何かの利益につなげようとする患者や、怪しげな世界と接点のある患者もいる。もちろん私をほっとさせ、それとなくエネルギーを分けてくれる患者もいる。相当の気遣いとエネルギーを要する仕事であるが、40年以上も続けられているのは、学校教育の賜物でもなければ、人生について書かれた書物のおかげでもない。

私は幼少期、上野アメ横の近くに住んでいた。アメ横が私の遊び場であった。そこは恐ろしく過密で、実に多彩な人たちがいた。外国人、アル中、薬中、博打打ち、風俗関係者。その人たちと同じ銭湯で、上がり湯のない泥水のような湯につかり、便のこびりついた同じトイレを使い、何でできているかわからない駄菓子をほおばっていた。

それこそカオスのような世界で、家々は密集していたが、窓は開けっぱなしですこぶる風通しがよく、私も友人宅の2階から隣の家に屋根伝いで移るようなことをしていたが、誰にも文句を言われることはなかった。外国のある都市の過密なスラムに似ていなくもなかったが、疫病が蔓延したという話は聞いたことがなく、祭りのような一体感がいつもあった。40年以上も私を支えてくれている精神的・身体的免疫力は、このエネルギッシュな街に住んだ時期に培われたものと信じている。

コロナを世界中に運んだのは風でも鳥でもなく、人の作った飛行機だった。コロナの蔓延は便利さや快適さを求めた人の仕業ともいえる。人の仕業には毒があると肝に銘じ、今しばらくは耐えねばならないが、ポストコロナのあるべき姿とは、己が仕業を自然の神に謝するため人々が集える祭りの復活ではないか。

著者プロフィール

遠山高史

精神科医

   

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