「難治性眼病」の治療薬を開発
2020年11月号
LIFE [ヴィジョナリーに聞く!]
1974年神戸市生まれ、46歳。98年京都大学医学部を卒業し、神戸市の中央市民病院や日本赤十字社和歌山医療センターに勤務。2015年に京都創薬研究所を設立し代表取締役に就任。
――どんな取り組みを?
武蔵 京都大学生命科学研究科の垣塚彰教授が見出した化合物KUS(Kyoto University Substances)剤を元にして、難治性の変性疾患の治療薬の開発をしています。人類が克服していない病気の一つが変性疾患で、アルツハイマーや筋萎縮性側索硬化症に代表される変性疾患は、細胞内外に異常タンパク質が蓄積されて細胞が徐々に死んでいく病気です。
通常の創薬研究は、それぞれの病気に特異的に働くタンパク質を見つける事から始めますが、垣塚先生はいろいろな変性疾患の共通項を抑制すればよいというユニークな発想で、細胞の死を抑える化合物を作り出しました。それがKUS剤です。細胞の異常タンパク質を掃除するタンパク質VCPが異常活性化して細胞のエネルギー源であるアデノシン三リン酸を大量に消費してしまい細胞が死ぬことに着目し、VCPをなだめる物質を作ったのです。
我々は垣塚先生のお弟子さんの池田華子先生が動物実験で緑内障や加齢黄斑変性、網膜色素変性など様々な眼の病気に対して薬効があることを確認したことで、2016年に網膜中心動脈閉塞症という視力が一気に失われる難病に対する医師主導治験を始めました。
――開発成功のめどは?
武蔵 治験では安全性が確認でき、効果についても症例数が少なく統計的有意差は言いにくいのですが、視力がほぼ発症前まで回復した例があるなど良い手応えが得られたので、日米欧でのグローバル治験を準備することになりました。併せて製薬会社との提携交渉に入りました。
――なぜこれに挑戦を?
武蔵 池田先生が動物実験で薬効を確認し、アカデミア主体の創薬からバイオベンチャー主体の創薬に移行する段階で、私がデータに惚れ込みご一緒させていただくことになりました。僕の眼科医としての師匠は、新しい手術の技術をどんどん取り入れ100人の弟子を育て100万の患者さんを救いました。その姿を見てやり方は違っても100万人を救う医者になりたいと思っていました。京大の大学院に進み、リサーチの世界に入りいくつかの特許を出しました。医療機器開発や医師限定のSNSを立ち上げた事業経験などもありましたので、声がかかったのだと思います。
――医師と起業家両立ですね。
武蔵 大阪で眼科を開業しています。昨日も手術をしました。医者を続けながらイノベーションを起こしたいと思っています。医療機器開発も創薬もITを通じた情報共有も、患者さんを救う医療行為です。難病の治療薬開発は時間も労力もかかりますがやりがいのある仕事です。
(聞き手/本誌 宮﨑知己)