世は歌につれ⑫

「ざんげ」「石狩挽歌」 北原ミレイの歌は「文学」だ

2020年11月号 LIFE [世は歌につれ⑫]
by 田勢康弘(政治ジャーナリスト 作詞家一般社団法人「心を伝える歌の木を植えよう会」代表)

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デビュー50周年を迎えた北原ミレイ(北原ミレイ事務所提供)

さほど誇ることもない私の人生だが、そのときどきの流行歌と記憶が結びついている。新聞社の大阪勤務となって初めて新幹線に乗ったころ、森進一の「港町ブルース」が流行っていた。カルメン・マキの「時には母のない子のように」も街中に流れていた。昭和45年、大阪万博が終わった晩秋、とんでもない歌がラジオから流れてきた。

あれは二月の 寒い夜

やっと十四に なった頃

窓にちらちら 雪が降り

部屋はひえびえ 暗かった

愛というのじゃ ないけれど

私は抱かれて みたかった

阿久悠という作詞家の名前に初めて出合う。歌っている北原ミレイという歌手も初めて耳にする。第一、何だろうこの歌の題名は。「ざんげの値打ちもない」(村井邦彦作曲)。歌詞がまたすごい。14歳というから中学二年生ぐらいの女の子が「抱かれる」。そして3番の歌詞ではナイフを光らせる。当時は削除されていた幻の4番の歌詞では「とうに二十歳も過ぎた頃、鉄の格子の空を見て」というから刑務所に入ったのだ。そして5番で「みんな祈りをするときにざんげの値打ちもないけれど私は話してみたかった」で終わる。歌全体に流れるのは「愛というのじゃないけれど」。つまり愛で成り立つあまたの歌を否定するような強烈な歌詞なのだ。

この歌はヒットした歌謡曲という範疇を超えている。これまでの流行歌を根本から否定し、時代にはっきりと楔を打ち込んだという意味でこれはもう「文学」である。晩年、都内のパーティーで阿久悠に出会ったときに私は彼にそのことを言った。「そうですか、文学? そう言ってもらえると嬉しいな」としきりに頭の毛を掻きむしった。銀座で歌っている南玲子(北原ミレイ)という女の子に曲を書いてほしいと注文がきたとき、「作品で勝負」だけが条件、すなわち何の条件もついてなかった。阿久は「それなら、いっそのこと、これまでタブーとされていたことをみんなぶちこんで、新しいものを書いてみようかと考えた」(阿久悠著『作詞入門』)。

22歳で新人デビューする歌手に殺人を想起させるような歌をだれが提供するだろうか。北原ミレイもこの歌を歌うようにといわれたとき、相当混乱したようだ。第一、どう歌えばいいのか。歌謡曲の歌詞にどうにもなじまない「ざんげ」という言葉。阿久は歌を書く前、北原に会うのを拒んでテープの声だけ聴いた。よく響く低音から、阿久悠は「タブー破り」を思いついたのではないか。北原の歌声には作詞家を文学者にしてしまうような力があるのではないかと思う。なかにし礼が「石狩挽歌」を書き、このほかにも寺山修司、吉田旺、吉岡治、荒木とよひさ、たきのえいじ、下地亜記子、松井五郎、秋元康、城岡れい、ら錚々たる作詞家が筆をとっている。だから北原ミレイの歌には文学の匂いがする。ありきたりの女の愛の歌に飽き足りない女性の歌謡曲ファンが北原ミレイの歌を歌う。そこに描かれている女は、男にとって都合のいいような女ではない。そうだよね、と相槌を打てるような自分と重ねあえる女性像なのだ。

私はそれほど熱心な北原ミレイファンではなかった。ただ、デビュー作の「ざんげ」以来、ずっと気になる歌手であった。今回このコラムを書くために50曲ほど二度にわたって聴いた。その結果、阿久悠が見抜いたように北原ミレイの歌は文学だと確信した。どの歌い手とも違う静かに響く低音は、歌をそのまま物語にしてしまう。その中から取り上げたいと思った歌は「ショパンの雨音」(たきのえいじ作詞、樋口義高作曲)。

行きなさいこのまま

私を振りきって

ふたりのおもいでなら

置いて行っていいから

あなたには明日がある

ここから見送るわ

沁みるショパンの

セレナーデ

涙ばかりをかき立てる

せめて今は聴きたくない

胸が痛むから

窓の雨だれも

そっと泣いている

北原ミレイはデビュー50周年を迎えたという。声は落ちていない。それどころか年齢とともに「北原ミレイ文学」の語り部にふさわしい深みのある声になっている。「ざんげの値打ちもない」「石狩挽歌」、阿久悠もなかにし礼も、これらの歌を飛躍台にして「巨匠」の位置までのぼり詰めた。作詞家としての自らの人生を飛翔させ、北原ミレイをスターダムに載せたばかりでなく、昭和の歌謡史を書き換えた。

「石狩挽歌」不思議な歌である。捕れ過ぎて肥料にまわすほどだったニシン漁。この歌はなかにし礼の人生そのものを歌ったようだが、漁師たちとその女房たちの歌だ。

海猫(ごめ)が鳴くからニシンが来ると

赤いのやん衆がさわぐ

雪に埋もれた 番屋の隅で

わたしゃ夜通し飯を炊く

あれからニシンは

どこへ行ったやら

破れた網は問い刺し網か

今じゃ浜辺で オンボロロ

オンボロボーロロ

沖を通るは 笠戸丸

わたしゃ涙で

ニシン曇りの 空を見る

日本の歌謡曲がダメになっている。時代を捉え切れず人の心をなかなかつかみ切れていない。「80歳まで歌う」という北原ミレイに注目して行きたい。

JASRAC 出 2008513-001

著者プロフィール

田勢康弘

政治ジャーナリスト 作詞家一般社団法人「心を伝える歌の木を植えよう会」代表

   

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