「3千億円基金」で「リケジョ」は増えるか

文系学部を理系に転換する大学に総額20億円の大盤振る舞い。

2023年9月号 DEEP
by 松本美奈(東京財団政策研究所研究主幹 ジャーナリスト)

  • はてなブックマークに追加

IT時代を担う理系人材を育てようと、文部科学省は7月21日、理系分野の教育の拡充に取り組む大学を支援するプロジェクト、通称「3000億円基金」の選定結果を公表した。注目されたのは、理系に転換する大学に対し、最長10年間にわたって総額20億円も支援するという手厚い内容への反応。結局、62の公私立大から支援申請があり、全てが選ばれた。うち9校が女子大で、理系女子いわゆるリケジョの養成を目指す(表1)。理工系男子学生の数が頭打ち状態の中、リケジョの養成なくして成功は期待できない。各大学の手並みに注目が集まっている。

女子大初の「理工学部」創設も

女子大として国内初の理工学部の開設を打ち出した安田女子大学(HPより)

プロジェクトの背景には、時代に対応する「デジタル・グリーン(脱炭素系)」系人材の不足という大きな危機感がある。これほどの規模の事業を昨年度の補正予算で通した強引さと、選外なしの大盤振る舞いに、それがくっきりと現れている。

政策に呼応した女子大も、別の意味で危機感は強い。少子化が止まらず、2040年の18歳人口は77万人と予測される。今ある約800大学の平均定員をもとにすると、240校が余る計算。中でも女子大は厳しく、読売新聞の独自調査によると、全国に71ある女子大のうち7割にあたる49校で、すでに入学者数が定員を下回っている(6月21日付朝刊)。

とはいえ、多くの女子大に理系への舵切りは難しい。女子の大半が人文・社会、家政、看護を選んできたこれまでの流れを変えられるか。

女子大として国内初となる「理工学部」の開設を打ち出したのは安田女子大(広島)だ。「厳しいことは重々承知。女性が活躍するステージを広げるのが本学の使命だから」。同大関係者は決意を込めて語る。

目指すは、総合大学。2002年までは文学部のみの単科大学だったが、徐々に学部を増やし、今は薬学も含む7学部体制、約5300人の学生を擁している。実は、理工学部は2025年開設の予定で前から準備を進めており、3000億円基金はまさに「追い風」となった。

新学部の概要もすでに発表されている。生命科学の基礎から応用まで広く学ぶ生物科、情報システムの設計から運用を主とした情報科、高い技術力と独創性を磨く建築の3学科体制で、学部の入学定員は180人。これから建設される扇型の近未来的建物の新学部棟で学ぶことになる。

選定を受け、8月3日には入試要項も掲載された。国語・英語・数学・理科・情報からの2教科選択制で「文理問わず受験可能」と明記している。数理を必須とせず、受験者が集まりやすくしたという。

選定審査で、「高い質保証」「近隣の公共機関を共同利用した効率的な教育」が評価されたのは、京都光華女子大だ。管理栄養士や保育士養成などが得意分野だが、そのうちの健康科学部に食品生命科学科を開設する。ゲノム編集で野菜や養殖魚の成長を促進したり、農業で出る二酸化炭素の排出削減を実現したりする高度な食の専門家の育成が目的だ。

前身は昭和19年開学の女子専門学校で元来、数学、生物、保健科で構成する理系学校。近隣の女子中学生が対象の理系女子育成のプログラムにも取り組んできた。「食品」を選んだのは、女子高校生はデータサイエンスを選ばないと予測するからだ。同大担当者は、学生募集の経験や各種調査から「女子高校生の好みは、データよりフード。世間が思うほどデータサイエンスの未来は明るくない」と言う。共学のデータサイエンス系学部・学科が乱立し、学生募集に苦しむ現状も視野に入っている。

大学に理系転換を求める今回の政策は、古く昭和18年10月に発せられた政府の「教育ニ関スル戦時非常措置方策」を思い起こさせる。戦時の技術者不足の解消を狙う措置だが、急ごしらえの学部は物資、人材の不足もあって、設備、教育内容とも「貧弱」だったと総括されている。

激変する情勢に、泥縄式対応ではダメ。そんな歴史を百も承知であろう文科省と大学側の今回の協演ぶりは、かの時代と同様、日本が追い詰められている証だろう。それだけに女子大の挑戦には期待したい。

ただ、越えなくてはならないハードルはある。女子の大学進学率は過去最高だが、世界的にみれば最低レベルだ(OECD2022)。4年制大学進学者が29万人という数字にもカラクリがある。短大や専門学校進学者等の過去の減少分をスライドさせると帳尻が合うのだ(表2)。高等教育への女子進学者数自体は膨らんでいない。今後も少子化の進行で全体のパイが縮む中で、まずは実数確保が焦点となる。

女子の進路選択の膠着化も課題だろう。長年、人文・社会科学・看護に偏っており、中でも人気は「資格が取れる」「将来の職業を見通しやすい」学部・学科に集まる。出身地の大学に進む傾向も男子よりも強い。つまり女子は、地元に留まり、将来の生活に直結する学部を現実的、合理的に選択してきたというわけだ。その流れを変えられるか。

成否の鍵を握る産業界

女子の進路選択が自発的なものかは、疑問はある。長崎県内の進学高校のベテラン教員は「(授業の)探究の時間などで幅広い視野を持ち、リーダーとして活躍できるようになった女子が、進路選択の途端、無難を選ぶ」と証言。選択を方向づける重要人物に親を挙げる。

「女の子に学問は無用」「嫁のもらい手がなくなる」。昔ながらの価値観を唱える親はいまだに多い。ここ数年は、外に出す金銭負担の重さを訴える親も増えている。問題は「そんな親でも、息子には出費をいとわない」(前同)ことだ。娘と息子では、進路選択に対する扱いが異なるというのだ。そうした因習は長崎に限ったものではない。

だが、親の反対を押し切り、地元を飛び出したとしても、継続はなかなか大変だ。理系転換の話に沿うと、もともと理工系学部は設備の初期投資や維持に経費がかかるため学費が高く、学習時間も長い。奨学金や親の仕送りだけでは生活できず、アルバイトに時間が取られるうちに授業から落ちこぼれ、退学に追い込まれる学生も少なくない。

筆者が2008年~2019年に携わった読売新聞「大学の実力」調査で退学率をみると、理学系学部は7%、工学系8%。国立よりも公・私立の方が高く、中には4年間に28%超もの学生が辞めた大学もあった。そんな実態が女子の選択の眼鏡にかなうだろうか。

成否の鍵を握るのは産業界だろう。理系学部の女子は必ず採用と表明してはどうか。政府方針で2030年には取締役の30%を女性にする必要がある東証プライム企業には、特に有効と思う。企業のジェンダー平等を注視する国内外の機関投資家に歓迎されるはずだ。

文科省は昨年度、デジタル系など成長分野の教員を大学が集めやすくするために「大学設置基準」を緩和した。目玉は、現役会社員の「兼業」への門戸開放だ。企業には優秀な学生の青田買いの機会が増え、社員はキャリアを広げられる。地方の大学にとって、成長企業とコンタクトを取れるメリットがある。

一方で、教育の質の低下を懸念する声もある。そこで、社員を送り出す企業には、当該大学・学部からの「採用義務」も課してはどうか。出来の悪い卒業生が来たら社員は「製造責任」を問われるから、必死に教育することになる。その際、女子学生優先も明言すれば、女子高校生や親にもアピールできる。理系の新設学部を持つ女子大には、学生募集の福音になるはずだ。

著名な高等教育研究者は今回の政策を「女子大の最後のサバイバルストラテジー」と話す。

世界経済フォーラムが公表したジェンダー・ギャップ指数で、日本は先進国最下位の125位だった。男女の賃金格差も顕在化している。荒海に漕ぎ出した「理系女子大」を社会がどれだけ応援できるか。新しい時代を切り開く「大航海時代」の先駆けとなるよう祈るばかりだ。

著者プロフィール

松本美奈

東京財団政策研究所研究主幹 ジャーナリスト

   

  • はてなブックマークに追加