DX時代の裁判/「電子証拠」に偽造えん罪リスク

電子文書は簡単に改ざんできる。DX時代の裁判ではいかに真正性を担保するのか。

2024年9月号 BUSINESS

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日本のコンサルティング業界で人材争奪戦が起きている。この点について今年7月31日付日本経済新聞が大特集を組んでいるが、アクセンチュアなど大手7社の国内従業員数は計7万1千人となり、この3年間で4割増えたという。

デロイト側が急遽和解

判決の方向性を変えた意見書の表紙と國分氏

生成AIの普及などによるDX対応に関して経営・事業戦略の変革を迫られる企業が増えていることがその要因の一つだ。

人材争奪戦では、有能なコンサルの引き抜きのような動きもあるという。そして争奪戦激化の背景には、DX対応だけではなく、「従業員引き抜きに関するある裁判の結果も影響しているのではないか」と、コンサルティング会社幹部は打ち明ける。

その裁判とは、経済安全保障政策の研究およびコンサルティングの草分け的存在で、経済安全保障推進法制定にも大きな影響を与えたと言われる、EYストラテジー・アンド・コンサルティングの國分俊史パートナー(執行役員)が、古巣のデロイトトーマツコンサルティングから訴えられた裁判だ。

裁判では社内規程に触れる社員の引き抜き行為を行ったとして、デロイトが國分氏に約1億2千万円の損害賠償を求めた。一審では東京地方裁判所が22年2月、國分氏に約5千万円の支払いを命じる判決を下して國分氏が敗訴。氏が控訴した二審では一転して23年2月に和解した。

國分氏は経済誌とのインタビューや周辺関係者に対し、「和解内容は言えないが、結果については大変満足している」と答えている。発言から推測すると、一審から大きく挽回する内容だったとみられる。

裁判で争点の一つとなったのは、「執行役員規程・パートナー規程」内の引き抜きによる損害賠償条項の存在の有無だった。デロイト側は同条項があったとして國分氏の引き抜き行為への賠償を求めたのに対し、國分氏側は、同条項は存在しておらず、捏造だと主張した。

規程は國分氏の在籍当時から存在していたというのがデロイト側の主張で、作成日時などを示すWordファイルのプロパティ情報を証拠として提出した。これに対して國分氏側はそのファイルがサーバー上に保管されていたものではなく、捏造が容易なパソコン端末のものであると主張。それを裏付けるためにWordファイルのプロパティ情報が簡単に変えられることを裏付けるコーディング方法(プログラム)まで示したレポートも提出した。

さらに規程ができた当時の社長も國分氏側の証人として、同条項はなかったと証言したが、一審では國分氏側の主張は受け入れられず、デロイト側の完全勝訴に近い形となった。

二審では裁判所が両者に和解を勧めたものの、デロイト側は一切受け付けなかったという。デロイト側は二審でも完全勝訴に近い判決を想定していたのではないか。ところが大きな転機が訪れた。國分氏の弁護人である喜田村洋一弁護士が、ある「意見書」を提出したのだ。喜田村氏は刑事事件では「無罪請負人」的な存在で知られる。

その「意見書」を作成したのは、憲法学者・弁護士であり、中央大学法科大学院教授の安念潤司氏。Wordファイルのプロパティ情報、さらには電磁的記録一般の改変が容易である以上、裁判所としては、その証明力に一定の疑いを抱いて審理に臨むことが求められるとしたうえで、國分氏が退社した時点での執行役員規程・パートナー規程が記録されたファイルに関するサーバー上のアクセス、修正、置き換えなどの記録を示すログ情報と、オリジナルファイルが作成された時点を示す何らかの証拠を追加提出すべきと求めた。

日本弁護士連合会の「『民事訴訟法(IT化関係)等の改正に関する中間試案』に対する意見書」(21年)でも、相手方が求めた際には、原本と証拠の同一性を検証するための関連情報(データ更新ごとに変わるハッシュ値や原文書作成時に作成者が操作したハードディスクなどが自動記録したログなど)を提出することを提言している。

デロイト側は、この意見書が求めた追加の証拠を提出しなかったという。

求められる「非改変性」

國分氏とデロイトが展開した裁判は他人事ではない。このデジタル化時代に「電子証拠」の在り方を問うたからだ。一般論として端的に言うと、デジタルデータは複製が簡単なだけに容易に捏造もでき、それが裁判で証拠として採用されれば、冤罪を招きかねないということだ。

「電子証拠」とは、Wordなどによって作成された文書やメールのやり取り、情報システムへのアクセスのログ(履歴)などのことだ。たとえば、情報システムへのアクセス制限はどの企業も導入しており、IT管理者など承認されている者しかアクセスできない。しかしこうした管理手法では、正規の手続きでアクセスした者がデータを改ざんすることも可能になる。

たとえば、企業がリストラしたい人材を追い出そうと思ったら、その人物が不正アクセスしたログを偽造し、懲戒処分にすることをやろうと思えばできるのだ。陥れたい人物、不都合な人物を冤罪の痴漢の容疑者に仕立てるようなドラマ上での話が、「電子証拠」の偽造によって、いとも簡単に行われる状況にあると言えるのではないか。

22年に改正された民事訴訟法では、電子データを証拠として提出する方法と提出された電子データの取り扱いとが規定されたが、その非改変性をいかに担保するかについては規定されていないという。その対応は今後の大きな課題となるだろう。

國分氏の裁判で意見書を提出した安念氏や知的財産法に詳しい東京大学先端科学技術研究センターの玉井克哉教授が自民党行政改革推進本部で、「電子文書の真正性(非改変性)の担保について」、今年2月にプレゼンテーションを行い、訴訟の場で電子データの非改変性をいかに担保するかが課題となっていることなどを問題提起した。

さらに、経済安全保障上の観点から、政府調達に関わる企業や半導体などの特定重要物資や、通信などの特定社会基盤を扱う企業や関係者にも、非改変性を担保した電子文書の使用を義務付けるべきではないかとの提言も行った。安念氏らのプレゼンを受け、自民党行革本部は今年4月、岸田文雄首相に対して、公文書のデジタル化推進と同時に、その編集履歴保存を求める提言を行った。

國分氏の専門領域は「ルール形成」。自らの裁判により、公文書管理の新たなルールができるかもしれない。転んでもただでは起きないということか。

   

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