2016年12月号 連載
事故から3週間後に「雨水流入」を大々的に報じる地元の北日本新聞
能力も、資格も、倫理観もない? 北陸電力の金井豊社長
10月19日、撮影/本誌 宮嶋巌
原子力規制委の田中俊一委員長と、更田豊志委員長代理(右)
「1時間28ミリの雨はどこにでも降る。雨水流入は論外」と、呆れ返る石渡明委員
9月28日早朝、能登半島は1時間に最大28ミリの強い雨に襲われた。西海岸に建つ北陸電力志賀(しか)原発2号機で「排水槽満水」の警報が鳴ったのは8時55分。駆け付けた当直員は、排水ポンプの作動を確認したが、排水槽の蓋を開け、異常な水位を確かめようとはしなかった。あろうことか原子炉建屋1階に6.6トンもの雨水が流れ込み、13時4分非常用照明の分電盤がショート。床のひび割れからの浸水は地下2階に達し、原子炉冷却装置の分電盤や非常用電源が水没する恐れもあった。
北陸電の金井豊社長は「排水路の付け替え工事の影響で道路に雨水が溢れ出た。ケーブルを引き込むピットの上蓋が開いており、そこから大量の雨水が流れ込み、ケーブルトレイと原子炉建屋の貫通部は止水していなかった……雨水が原子炉建屋へ浸入するという、普段ではあり得ない、あってはならないことが起きた」と釈明したが、原子力規制委の田中俊一委員長は「警報が鳴っても無視してしまう。一体、何をやっているのだ」と、頭を抱えるばかりだった。
1999年6月18日未明。志賀原発1号機の中央制御室に「カン、カン、カン」と、けたたましい警報が12回も鳴り響いた。制御棒引き抜けによる国内初の臨界事故だったが、当時の所長らが口裏を合わせ、組織ぐるみの事故隠しが発覚したのは8年後だった。その猛省から「蛍光灯が切れても報告する」と、北陸電は襟を正したはずなのに、どうしたことか──。件の雨水流入を公表したのは事故から9日後の10月7日。しかも、同社HPの「マンスリーレポート」にこっそりと載せ、10月3日に開かれた石川県の原子力環境安全管理協議会にも報告しなかった。地元の運動家が「北陸電には原発を動かす能力も、資格も、責任体制も、気力も、肝心の倫理観もない」と、こき下ろすのも無理はない。