家族の眼差しから「清廉の人」を描く

『安部磯雄の生涯』

2011年9月号 連載 [BOOK Review]
by 山本一生

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『安部磯雄の生涯』

安部磯雄の生涯
(著者:井口隆史)


出版社:早稲田大学出版部(3000円+税)

安部磯雄といえば、かつて早稲田にあった安部球場から、学生野球の父として語られることが多い。だが明治後半から昭和の歴史をたどるとき、しばしば目にして、なぜか心に残る名前でもある。

明治31年には同志社において、日本最初の学生消費組合を結成しているし、34年には片山潜や幸徳秋水とともに、日本で最初の社会主義政党、社会民主党を創立、即日禁止となっている。日露戦争では非戦論を唱え、足尾鉱山問題や公娼制度の廃止の運動にも関わり、昭和に入ると、社会民衆党委員長として最初の普通選挙に当選し、社会大衆党委員長のときは右翼に襲撃もされている。戦後でも、日本社会党結党のよびかけ人に名を連ねている。

豊かなキャリアにもかかわらず、安部磯雄については、研究書や論文はあっても、評伝や伝記の類いはそれほど多くはない。明治から大正を経て、戦後まで視野に収めることが難しいこともあるが、それだけではなかったようで、本書ではその理由をこう記している。

「書き手にとって辛いのは、彼にはほとんど失敗談というものがないことだ…揺らぎのない信念を持った人格者の日常は実際のところ伝記作家泣かせではあるまいか」

たしかに禁酒禁煙のクリスチャンで、「質素之生活 高遠之理想」を実践したとなれば、面白味に欠けるのも無理はない。そもそも清廉な人生を興味深く描くには何らかの補助線が必要となる。本書でそれにあたるものといえば「家族」だろう。幸い新たなる史料も発見された。大正8年以降、妻の駒尾が折にふれ書き記した14冊の日記と、妻から三女赤木夫妻への200通を超える書簡で、それをもとに「家族」なる視点から安部磯雄を描こうとする。

じっさい一族には多彩な顔ぶれがそろっていた。長男民雄はテニスの選手でデビスカップ日本代表となったし、娘婿には、「雲上の楽園」と謳われた松尾鉱山の二代目社長中村正雄、在米日系二世で『英文日本外交史』の著者赤木英道、丸山ワクチンの開発者丸山千里などがいる。さらに友人には、戦後首相となる片山哲や松岡駒吉、自由学園の創設者羽仁もと子、そして弟子にも、日本精神野球の元祖「一球入魂」の飛田穂洲などが控えていて、入れ替わり立ち替わり安部磯雄の物語を盛り上げる。

なかでも戸松慶一なる青年は印象的である。昭和5年に秋田から上京した戸松は、安部の語る社会主義に感銘を受け、その後もしばしば足を運ぶようになる。安部も戸松の純情を愛し、勉強振りを高く評価していて、結婚披露宴の仲人挨拶では、「私の志を継ぐのは戸松君である」とまで述べている。戸松は戦後「民族の将来、アジアの経綸」と叫んで飛びまわり、右翼団体「国乃礎」を創設するが、周辺が気にしても安部は、「あなたと私は、主義思想の付き合いではない」とかばい、戸松も、安部への敬愛は終生変わらなかったという。安部の懐の深さをうかがわせる逸話といえよう。

ともすれば硬直した安部磯雄論が多いなか、その人間的な魅力に迫ろうとした本書の手法は新鮮で、これを機に安部磯雄研究がいっそう深化されることを期待したい。

著者プロフィール

山本一生

   

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