申し訳ないが「読者を選びます!」

『古典に学ぶ現代世界』著者/滝田洋一 評者/渡辺博史

2025年8月号 連載 [BOOK Review]

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『古典に学ぶ現代世界』

『古典に学ぶ現代世界』

著者/滝田洋一
出版社/日経BP
    日本経済新聞出版
定価/1210円(税込)

出版社には申し訳ないが、この本は「読者を選ぶ」。そのくらいに優れた、かつ重い内容の書籍である。

『動物農場』に始まり『大暴落1929』に至るまでの幅広い分野から34冊の古典が選ばれているが、それぞれのところで更に他の文献が付加され、全体として100冊を超える名著を、現下の出来事との関連に着目しつつ紹介している。

ボーン・上田記念国際記者賞を受賞された著者の国際的な視野の広さ、取材力、構想力の高さは言うまでもないが、日々世界で生起する様々な事象を自らの脳中にある無数の古典の中の名句と結び合わせることが出来るという卓抜した能力が、この本の骨格をなしている。

字数制約のある文章の世界で永年磨かれて来た成果とも思われる簡潔かつ流ちょうな文章の流れは、それぞれの古典の示す論点に速やかに誘ってくれるかと思わせる。しかし、それは大きな誤解で、一部を除いて余計な注釈を付さずに原典の文章の核となる部分のみを紹介し論述を進めていく本書のスタイルは、ある程度の知識堆積がない読者にしてみれば、「自ら考えよ」と道標の無い荒野に放り出された感じまでする。

我々はつい、浅薄な蘊蓄を付することによって、多少は道案内をしたいと思いがちだが、著者はそれをせずに各文献からの短い的確な引用に全てを委ねる。読者がその引用の意味するものを正確に、あるいは少なくとも的外れにならないように理解するためには、それなりの知識堆積が求められている。しかも、その堆積が単に沈殿固化するのではだめで、時に環境ないし外的刺激に呼応して必要な反応が起こせるように常に活性化させておく必要があるのだとつくづくと思わされる。

評者は、特定分野の本を8千冊も読んだというつまらない自慢をしているが、その1パーセントでも著者と重なる文献に向け、かつそこから得たものを活性化し続けていれば、より理解が深まったものと、遅すぎる反省をするとともに、読みながら転寝してしまう接し方を歓迎という著者の期待に反して、読了後脳中に火花を飛び交わしている。

また、月刊誌への連載物を一冊にまとめるにあたり、それぞれの古典の項にコラムが付された。これらを「箸休めのようなもの」と著者は言うが、このコラムは最新の状況を更に的確に盛り込んだ展開を提示しており、堪能させられた正餐の後にまた珠玉の逸品が供された感じである。

最近の若者が、どれだけの量の、かつどんな分野の本を読んでいるのかは分からないが、先ずはこの本の各章冒頭に挙げられた6篇だけでも読み、自らが知的「蒙」の状態にあるという認識を彼ら彼女らが持つに至るだけでも、本書の意義は大きい。

誤解を避けるためにあえて言うと、著者には柔軟かつ洒脱な点もある。評者がアメリカで見つけた「1000兆ドル札」なるフェイクの玩具への日本人の多くの反応が「面白いですね」で終わっていたのに対して、著者はその直後の新書の中で「アメリカにおけるハイパー・インフレへの懸念の表れか?」と、これをベースに論述を進められた。

「歴史は繰り返す」はローマ時代の歴史家クルティウス・ルフスの言葉で、多くの場合、人々の集合記憶の減退がこういう反復を招くとされる(と、つまらない悪癖の蘊蓄を挟むが)。しかし、著者のような練達の士が人類の記憶力減退防止に大きく貢献されていることは、心強い。

 

■評者プロフィール

 渡辺博史
 東京成徳大学 経営学部客員教授 元財務官

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