『米中経済戦争 AIIB対TPP』
2016年2月号
連載 [BOOK Review]
by 梶谷懐(神戸大学大学院経済学研究科教授)
一昨年の終わり頃から、「一帯一路(シルクロード経済ベルト+海のシルクロード)」「AIIB」といった言葉が日本のマスコミにも大きな関心の下に取り上げられるようになった。このところの中国経済の減速もあってか、日本国内ではこれらの動きに対し冷ややかな視線を投げかける論調が多い。しかし、米国を主軸とした国際経済秩序が揺らぐ中で、中国の対外経済政策をどのように位置づけるか、必要なのは予断を排した冷静な分析である。本書はこの重要かつ複雑な問題を、中国中心の「一帯一路+AIIB」と米国中心のTPPが対峙するという「勢力図」を軸にし、キーパーソンへのインタビューや中文メディアからの情報を踏まえて解説した、タイムリーな一冊である。
昨年のAIIB設立に関する一連の報道で気になったのは、中国や諸外国の動きについて日本政府が独自に情報を収集し判断を下す姿勢がほとんど感じられず、それどころか、政府関係者の間で中国政府の外交手腕を明らかに軽視する姿勢が見られた点だ。著者によれば、財務省は英国のAIIB入りの動向を把握していたものの、首相官邸の動向を慮ってか、情報を外務省と共有して善後策を検討した様子はないという。実際には、欧州と組んで日本がAIIB入りし、そのガバナンスを変えるというシナリオもあり得た。にもかかわらず、なぜそれが検討されなかったのか。一連の政府の対応から浮き彫りになった、日本の経済外交上の「弱点」に対する著者のまなざしは厳しい。
本書のもう一つの柱が、TPPに対する今後の中国の対応についての分析である。本書によれば、中国はTPPに対して一貫して強い関心を示してきており、国内でも加盟を検討すべきだという強い意見があるという。TPPをめぐる中国の動向は日中韓のFTA、さらには台湾のTPP加盟問題など、今後の東アジアの経済秩序形成にも大きなインパクトを持つ。つまり今後のTPPについて議論する上でも、「影のアクター」として中国はもはや無視できない存在なのだ。
では日本の官民は、中国の対外経済戦略にどう対峙すべきなのか。中国にはTPPへの参加を促していくと同時に、日本は機会を見てAIIBへの参加を検討すべき、というのが著者の結論となる。一帯一路がTPPへの対抗として打ち出されているからこそ、米中の対立が顕在化しないよう、「共通のルール作り」に向けた粘り強い働きかけを日本から行っていくべきだ、という主張は明快かつ説得的だ。ともすればセンセーショナルになりがちな話題を冷静な筆致でわかりやすく解説した本書を、世界経済の大きな見取り図を描く上でも一読しておきたい。