『最後の社主』

朝日が封殺した「御影の令嬢」の秘話

2020年5月号 連載 [BOOK Review]
by 田部康喜(コラムニスト)

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『最後の社主』

最後の社主

著者/樋田毅
出版社/講談社(本体1800円+税)

朝日新聞社の最後の社主である、村山美知子氏が亡くなったのは3月3日午前0時12分のことだった。享年99。社主とは、新聞社の創業者の直系親族のなかで取締役か、象徴的な存在にとどまる。

美知子氏は、朝日の創業者である龍平翁の初孫。本書の筆者である朝日ОBの樋田毅氏は、晩年の7年間にわたって、大阪本社秘書課主査あるいは大阪秘書役として仕えた。

大阪社会部当時は名うての事件記者。阪神支局が何者かによって襲撃されて死傷者が出るなど一連の「赤報隊事件」の追及をライフワークにしている。朝日が取材の前線に樋田氏を立たせたのは言うまでもない。前著『記者襲撃』(岩波書店)はその成果である。

その朝日が事もあろうに本書が出版された3月26日、「弊社社主に関する書籍発行への抗議につきまして」と題するリリースを出し、出版元の講談社なかんずく樋田氏に対して激烈な言葉を投げつけた。

「極めて不正確な形で、虚実ない交ぜに無断で本件書籍を公表しました」と、かつて力量を認めた樋田氏に対する言葉として則を超えていないか。

そもそも、生前の美知子氏から、樋田氏は評伝の書籍化の承諾を得ている。秘蔵の写真や戦前としては珍しいホーム・ムービーも託された。しかも、出版は、美知子氏の「棺(かん)を蓋(おお)いて事(こと)定(さだ)まる」を待った。

朝日は村山家の歴史を封印してきた。戦後、経営陣と「村山騒動」と呼ばれる権力闘争を繰り広げたからである。昨今ではベテラン社員でも、紀州藩の支藩の士族だった龍平翁が、明治維新とともに大阪に出て、西洋雑貨商として成功したことを知らない。美知子氏のひととなりや業績はいうまでもない。

村山家は、神戸市の高級住宅地である「御影」に約6千坪にも及ぶ広大な邸宅を構える。本書の冒頭部分に掲げられた3葉の写真が「御影の令嬢」の栄華を物語る。龍平翁に抱かれた赤ん坊姿や家族写真は、上流階級のそれだ。カラヤンと談笑しながら並んで歩むミニスカートの横顔が美しい。世界の一流の音楽家を招くのにふさわしいコンサートホールがない戦後、大阪フェスティバルホールを造り、プロデューサーを務めた。

朝日の過剰反応は奈辺にあるのか。美知子氏が最期を迎える直前、養子をとって村山家の存続を願ったが、実力者に阻まれ、遺産の処分に関しても会社側が有利な方向で遺言状が作成されたというあたりが刺さったのでは――。「村山騒動」の帰結として稀有の証言録であるだけでなく、生涯気品を失わず、大正から令和まで生きた「深窓の令嬢」の秘話として圧巻である。

著者プロフィール

田部康喜

コラムニスト

   

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