特別寄稿/フィンランド 「5党連立内閣」党首は全員女性/経営共創基盤共同経営者 塩野誠

筆者はヘルシンキ在住2年。現地で感じた日常的な危機感。「国と国民が生き残るためには性別は関係ない」というメンタリティ。

2022年8月号 LIFE [日本と何が違うか]
by 塩野誠(経営共創基盤共同経営者)

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連立政権発足時の5党首(マリン首相のインスタグラムより)

「他国から攻撃された場合、我々は絶対に降伏しない。抵抗を止めるという情報はすべて嘘である」

ウクライナのゼレンスキー大統領の発言だろうか。そうではない。北欧の国、スウェーデン政府が2018年、国民に配布したパンフレット「もしも危機や戦争が起きたら(IF CRISIS OR WAR COMES)」である。

諸外国によるディスインフォメーション(虚偽情報の拡散)が懸念されているとはいえ、ロシアによるウクライナ侵攻以前のメッセージとしては過剰な危機感に見える。同じものを日本政府が国民に配布したらきっと炎上することだろう。しかしながら、22年2月24日のウクライナ侵攻以降、世界は変わってしまった。

事実その後3月、ディープフェイクと呼ばれるAI(人工知能)技術によって、ウクライナのゼレンスキー大統領がウクライナ国民に「降伏」を呼びかける偽動画が拡散された。偽ゼレンスキー大統領は「武器を捨て、家族の元に戻って欲しい」と訴えかけている。数年の間に懸念は現実となってしまった。ロシアを挟む形で北欧諸国と日本は位置するが、日本でさえも参院選において有権者の重視する政策課題として、「経済対策」が42%、次いで「外交・安全保障」が17%となった(NHK調査)。欧州から遠く平和を謳歌する日本でも、連日のウクライナ報道は人々の意識に変化をもたらしたのだろう。

18際以上男子は徴兵、女性は志願兵役

ヘルシンキの街で軍服を着た若者

筆者は21年初頭までフィンランドの首都ヘルシンキに2年間在住しており、ロシアに接するフィンランド、バルト3国(エストニア、ラトビア、リトアニア)、そしてスウェーデンにて投資業務を行っていた。

現地で感じたのは日本とは異なるロシアの隣国としての日常的な危機感であった。日本でも人気のサウナやムーミンの「平和な国」というイメージを持つフィンランドには、実は18歳以上の男子徴兵制があり、女性は志願兵役がある。街でも軍服を着た若者を見る機会は多い。30代後半の筆者の同僚も、仕事の合間に軍事訓練に招集されていた。

ヘルシンキの街には核地下シェルターが点在し、地下深くに岩盤を削ってつくられたシェルターは、普段はホッケー場や子どもたちの遊び場となっている。第二次世界大戦の開戦直後にソビエト連邦に侵攻され、辛くも独立を保ったフィンランドは現在のウクライナの状況に重なる歴史を持つ。ロシアと1300キロの国境を接し「熊(ロシア)を突いてはならない」といった言葉もある。NATOに加盟せず軍事的中立によりロシアとの外交バランスを保ってきた。

核地下シェルター

そのフィンランドが外交的双子とも呼ばれるスウェーデンと共に5月18日にNATOへの加盟を申請し、7月5日にNATO加盟国は加盟議定書に署名した。これは驚くべき外交転換である。フィンランド人の同僚たちも以前はNATOに加盟することによってロシアを刺激することは現実的な政策としては考えていなかったようだ。両国のNATO加盟は、皮肉にもプーチン大統領が最も忌避したNATOの拡大となった。ヘルシンキからロシア第二の都市であるサンクトペテルブルクまでは列車で3時間半と心理的にも近い。NATO加盟を巡る報道では、フィンランドのマリン首相、スウェーデンのアンデション首相という女性首相が並んで歩く映像をご覧になった方もいるだろう。

世界で注目される首相は素晴らしい

マリン首相はNATOへの加盟申請に先立つ5月11日、東京に降り立った。東大の安田講堂で講演を行い、「ウクライナ侵攻により安全保障環境は変わった」と述べた。大きな政治判断を控えた36歳の女性首相に東大生たちは何を感じただろうか。マリン首相は幼い時に両親が離婚し、裕福とは言えない家庭で育った。フィンランドでは大学までの学費が無償化されており、その教育制度のおかげで家庭の経済力に関わらず、政治家を目指すための教育を受けることができたのだ。マリン首相は訪日後の5月下旬にはウクライナにてゼレンスキー大統領を訪問している。

19年末発足時のマリン首相率いる内閣は5党の連立政権であり党首は全員女性、4人が35歳以下、閣僚は19人中12人が女性ということで世界的に注目を集めた。フィンランドの女性首相は3人目である。フィンランドは議院内閣制であり、首相と大統領がおり、大統領は形式的に外交政策の権限を有する。現在のニーニスト大統領は73歳。36歳のマリン首相を支える。

ウクライナ戦争以前から、フィンランドでは「中小国は国際社会から忘れられたら終わり。首相が世界で注目を集めるのは素晴らしい」という風潮があった。ウクライナへの各国の支援を見ると、これが正しいことと感じる。国際社会から忘れられていたら、ウクライナはなすがまま侵略されたことだろう。参議院議員の女性比率が2割の日本からすれば驚くべき女性比率のフィンランド内閣だが、政治もビジネスも「国と国民が生き残るためには、性別に関係なく協力する必要がある」というメンタリティが垣間見られる。

翻って日本社会はまだまだ余裕があるということだろうか。北欧のビジネスイベントなどにおいて、中高年男性だけが登壇しているということはない。必ずジェンダーバランスが考慮されている。そうした環境に慣れると、逆に中高年男性だけの場に違和感を覚えてくる。女性取締役探しが課題となっている日本企業では、男性社員から「準備も能力もない女性に下駄を履かせて役員にするのは如何なものか」という声が聞かれる。男性役員には準備と能力があったのかと問いたいところだが、安全保障上の歴史的な意思決定を36歳女性リーダーが行っている国があることに思いを馳せたい。

フィンランドとスウェーデンはNATO加盟に反対したトルコに大きな政治的犠牲を払ってでも安全保障を選んだ。フィンランドの一人当たりGDPは4万8755ドルで、4万193ドルの日本の1.2倍である(20年、世界銀行)。岸田政権は「スタートアップ育成5カ年計画」が骨太の方針で策定され、担当相も新設するとのことだ。スウェーデンとフィンランドは人口あたりのスタートアップ投資額が英国、フランスを上回り、政府がベンチャーキャピタルを育成してきた歴史がある。起業内容についてもSDGsといった大義を掲げつつルールメイキングを行い、ビジネスに落とし込むしたたかさを見せる。自他ともにルールメイキングを苦手とする日本が学ぶべき点であろう。

驕れる大国より危機感のある中小国

ヘルシンキのシンボル「大聖堂」(筆者撮影)

フィンランド人と日本人は、物静かなところや生真面目なところが似ているとも評される。若いフィンランド人の中には、自然とテクノロジーの両方を好む日本人と自分たちは似ていると考える人も多い。一方で、安全保障に関する危機感とリアリズムについては、同じロシアを隣国としながらも大きく異なっている。諸外国から見れば日本はロシア、中国、北朝鮮に囲まれた安全保障リスクの高い土地だが、日本国民の危機意識は低いだろう。

ウクライナ侵攻は、現代でも武力による現状変更の試みが行われ、自国の領土を奪われる可能性があることを再認識させた。この侵攻で可視化された安全保障リスクはいくつもある。例えば、核保有国であるロシアに西側諸国が「抑止される」ことにより行動制限されること、NATO非加盟国であるウクライナにはNATOも米国も派兵しないこと、紛争時にはエネルギー供給を停止されること、原発も攻撃対象となることなどである。

一方でウクライナのゼレンスキー大統領が各国でリモート演説しているように、小国であっても徹底抗戦し、積極的に情報発信をすることで国際社会から共感と支援を得られることが認識された。プーチン大統領という独裁者が信じる歴史的思想と使命感によって侵略を行った場合、外部の「合理性」は通用せず、これまで培ってきた経済的相互依存による利益よりも、独裁者の歴史的大義が優先されること、核兵器の使用も戦争の出口も独裁者の心次第であることを目の当たりにした。

これらが可視化され、日本では企業が経済安全保障室のような部署の設置を急ぎ、経営トップはサプライチェーン分断、エネルギー価格高騰に備えよと社内に号令をかけている。そこでの課題は安全保障や地域研究の知見を持った社内の専門人材の不足である。

テレビを見れば、毎日のように安全保障、軍事、地域研究に関して同じ学者が出演しており、日本の当該分野の研究者層が厚いようには見えないだろう。先例のない危機を目にしてはじめて人材と知見の重要性を痛感する。そうした知見を一般企業に急に求めることは難しい。

日本では安全保障、軍事研究が学術界のメインストリームとは言えず、海外の大学で研究した後に日本に戻ってきた研究者が多い。むしろこの有事に一応は安全保障、そしてロシアやウクライナの研究者、そして防衛研究所のような安全保障の研究機関があっただけでも幸運であったといえる。そうした研究者がいない国では正当な分析もできず、流布された虚偽情報に汚染されることがある。いみじくもゼレンスキー大統領の各国向けに洗練された演説は、歴史、哲学、文化という人文学的教養の力と重要さを再認識させた。

ウクライナ侵攻を境に世界は変わってしまった。もしかしたら私たちは長い歴史のなかで、一瞬の平和な時代を生きていたのかも知れない。フィンランド、スウェーデンほどの危機感とインテリジェンスをすぐには日本に望めなくとも、ロシア、中国、北朝鮮という権威主義国家を隣国とする私たちは自由な民主主義国家として、専門家を育てて知見を蓄え、リベラルな国際秩序の再構築のための役割を果たすべきである。その際に民主的な価値観を共有する北欧の中小国から学べることがあるだろう。驕れる大国は危機感のある中小国より弱いものである。

著者プロフィール
塩野誠

塩野誠(しおの まこと)

経営共創基盤共同経営者

地経学研究所 Executive Committee メンバー。著書に『デジタルテクノロジーと国際政治の力学』、ワシントン大学修士

   

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