「命がけ」ラストバンカーの意地

『ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録』

2011年12月号 連載 [BOOK Review]
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『ザ・ラストバンカー  西川善文回顧録』

ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録
(著者:西川善文)


出版社:講談社(1600円+税)

とにかく迫力が違った。部下を怒鳴り上げ、机をひっくり返す。そこには、不良債権問題が日本全体を襲う前から「破綻処理と再建」という難題を引き受け、修羅場をかいくぐってきたバンカーの威圧感があった。そんな「ラスト(最後の)バンカー」の回顧録である。

25歳で旧住友銀行の調査部に配属され、企業の財務実態と経営者の見方を6年半学び、安宅産業の破綻処理を任された。8年にわたる安宅の処理はよほど思い入れが深かったのだろう。当時の状況が克明に書かれており、日本の貴重な産業史になっている。

そして、西川氏自ら「住友銀行の恥」と記す、悪名高き平和相互銀行の吸収合併からイトマン事件である。イトマン事件は1部上場企業に闇の勢力が巣喰い、政治家やフィクサーと呼ばれた人物が勢ぞろい。しかも住友銀行の経営トップが関与した「戦後最大の経済事件」だったが、本書はベールに包まれた全貌を明かしてはいない。 当時、住友銀行の「天皇」と呼ばれた磯田一郎会長と、当時常務だった西川氏との闘いは、住友銀行の「語られなかった歴史」である。実は、西川氏は磯田氏の誘いで住友銀行に入った。しかし、「天皇」となった磯田氏が、親族かわいさゆえにイトマンの暴走を許し、経営を悪化させた時、西川氏は当時の巽外夫頭取を怒鳴り上げ、磯田氏に「とどめを刺した」。巽氏は「西川さんたちに迫られて磯田さんと闘った」と親しい人によく語っていた。その真相が語られる「第三章 磯田一郎の時代」は、まさに圧巻である。

巽氏は後継頭取に森川敏雄氏を据えたが、4年後に西川氏を頭取にすることを決めていた。97年に頭取になった西川氏は、「剛腕」の名をほしいままにした。99年には「盟友」とされる旧さくら銀行の岡田明重頭取と合併で合意、01年4月に三井住友銀行が発足し、初代頭取となった。合併の経緯がさほど詳しく書かれていないことは気になるが、赤字決算の決断や住宅金融専門会社処理をめぐる中坊公平氏との争いは克明に描かれ、「不良債権と寝た男」と評された西川氏の真骨頂が見える。

ところが、その先は西川氏の「敗北への怒り」に満ちている。住友銀行の絶対的リーダーは、合併した三井住友銀行では「絶対的」でなくなった。10年かけても解決しない不良債権問題、米ゴールドマン・サックスを引受先とする増資では癒着が取り沙汰され、UFJグループ争奪戦では三菱東京フィナンシャル・グループに敗れた。

小泉純一郎首相に推されたとはいえ、周囲の反対を押し切り日本郵政のトップに就任したのは、西川氏の負けず嫌いの性格ゆえだ。日本郵政は自民党の変節、民主党への政権交代の中で「政治」に翻弄されていく。退任の記者会見では、カメラマンたちを退出させろと鬼の形相で司会者に命じるシーンが何度もテレビで放映された。悔しかったに違いない。

西川氏はなぜ本書を書いたのか。今も理不尽な政治やマスコミと闘っている、男の意地だろう。モンブランの万年筆を手に、決して達筆とはいえない文字で綴った回顧録は、日本の「失われた10年史」であるとともに、「命がけ」の男の人生ドラマでもある。

著者プロフィール

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