『日本外交の常識』著者/杉山晋輔 評者/園田耕司
2024年11月号
連載 [BOOK Review]
by 園田耕司(朝日新聞政治部次長)
駐米大使当時の杉山晋輔氏(71)にいつも驚かされていたのが、トランプ米政権内部への深い食い込みである。
杉山氏とは、たまたま外務省霞クラブにいた私のワシントン赴任と杉山氏の大使赴任の時期が重なっていたことがきっかけで、政治の街・ワシントンで立場は違えども親しく意見交換をさせて頂く機会が増えた。
もともと杉山氏のことは政治家並みのずば抜けた行動力と人間的魅力を兼ね備えている稀有な官僚だと思っていたが、その能力は駐米大使の間も存分に発揮されたと思う。杉山氏は椅子に座って部下からの報告を待っているタイプではない。自腹を切って米政権閣僚らが通うゴルフクラブの会員となり、一緒にゴルフをプレーして閣僚らと個人的関係を深めていく。公邸にはホワイトハウス高官や名だたる上下両院議員らを招待し、酒を酌み交わしながら胸襟を開いて会話を重ねる。
政権幹部や議会幹部らと太いパイプを築いて常に連絡を取れる体制を作ると共に、トランプ大統領という最も難しい人物をトップに頂く米政権内の動きをいつも的確につかんでいた。当時、これほどトランプ政権に食い込んだ外交官は、百戦錬磨の各国外交官らが集うワシントン全体を見渡しても杉山氏以外にそうそういないだろう。
米国のみならず、杉山氏は44年余の外交官生活の間、中国、ロシア、韓国との困難な交渉、そして北朝鮮との拉致問題を含む国交正常化交渉を担当してきた。こうした外交の最前線で活躍をしてきたプロフェッショナルとしての経験と、早稲田大学で長らく国際法の教鞭を執ってきたアカデミズムの知識が詰まっているのが、本書である。
杉山氏の深い洞察のもと、日米を始め、日ロ、日中、日韓など、歴史的な政府間交渉が丹念に紐解かれ、ウクライナ戦争やイスラエルによるガザ攻撃など世界を揺るがす紛争など最新情勢も網羅されている。
とくに注目するべきは、杉山氏自身が目撃した数々の歴史的場面の生き生きとした描写やエピソードだろう。例えば、2014年のロシアのウクライナ併合を受けたG7サミットで、各首脳が激論を交わすシーンは圧巻である。各首脳の言葉をメモしていた安倍晋三首相(当時)が発言を求め、それを聞いたドイツのメルケル首相(同)が「それで行こう。シンゾーのまとめた諸点で、ここでのG7の合意にしよう」と言ってギャベル(議長の木槌)を打つ――。その場にいた外交官だからこそ書くことができる躍動感あふれる描写である。
杉山氏は長らく日本外交をめぐる政府の意思決定にかかわってきた人物であり、とくに安倍氏の杉山氏に対する信頼が厚かったことはここで改めて記す必要もないだろう。政権中枢にいた人物によって書かれた本書は歴史的記録としても大変に貴重である。
本書は、ダイナミックに動く外交問題を深く知りたいと思う読者の方々はもちろん、ビジネスリーダー、学識経験者、メディア関係者、そして杉山氏と同じように将来国際的な舞台で活躍したいと考える若者たちに是非とも読んで頂きたい一冊である。