「沖縄返還の真実」への怒りの書/評者 橋本五郎 読売新聞特別編集委員
2022年9月号
連載 [BOOK Review]
by 橋本五郎(読売新聞特別編集委員)
戦後の日本外交を画する首相の政治決断を挙げろと言われれば、鳩山一郎の日ソ国交樹立、拉致被害者を取り戻すための小泉純一郎の訪朝、そして佐藤栄作の沖縄返還と答える人は多いだろう。戦争で奪われた領土を平和時に取り戻すことは至難のことだからである。
その偉業が歴史的に消すことの出来ない禍根を残したとすれば評価は違ってくる。佐藤首相は沖縄返還について「沖縄は核抜き、本土並み、ただで還ってくる」と繰り返し約束した。しかし、実際は佐藤首相や福田赳夫外相ら政府高官が知っているだけの数々の密約を結び、米軍駐留費の支払いや米軍基地の自由使用、有事の際の核の持ち込みを米側に保障していた。
それだけでない。佐藤首相はじめ外務省のアメリカ局長や条約局長らは国会で虚偽の答弁を繰り返した。これほど欺瞞に満ちた国会でのやりとりもないだろう。目的が正しければ許されるというものではない。手段、方法に誤りがあっては目的さえも疑われることになるからだ。
この書は社会部記者として沖縄返還の取材に関わった著者が一九七一年五月から一年余りの佐藤政権と政界中枢の動きを徹底検証した記録である。沖縄返還はなぜかくも密約に彩られなければならなかったのか。佐藤首相の秘密主義的な性格に加え沖縄返還を手柄にしたかったからだと断じ、「外交の私物化」を糾弾している。
一方、米側はホワイトハウスを本拠にした政策決定のタスクフォースを作って有効に働かせていた。しかも、返還交渉をきちんと公文書に残し、後世の批判に耐えられるようにした。彼我の差は歴然としている。
この書は使命感に支えられた情熱の書であり、怒りの書でもある。著者の怒りは西山事件にも向けられる。毎日新聞の西山太吉記者は密約を明らかにして罪に問われた。これに対し毎日新聞は取材方法に問題があったとしてお詫びした。しかし報道の自由、知る権利を盾に政権と最後まで闘うべきだったのだ。
こうした著者の見方には異論もあろう。井上正也慶應義塾大学教授は本年七月号の『中央公論』でこう書いている。
「佐藤首相は『密約』を結ぶという際どい手すら用いた。他によりよい方法があったのでないかという批判もあろうが、理想論だけでは返還は難しかった。沖縄返還は政治指導者のギリギリの決断があって成立した」
密約の極秘電信文のコピーを議員に渡し国会の追及に委ねたことに私は違和感がある。権力に付け入る隙を与えてしまったからだ。などと思いつつも、この書は沖縄返還を考えるうえで基礎的で最良の教科書になるだろうことは間違いない。