明治の「見えざる手」渋沢の功績

『渋沢栄一』Ⅰ・Ⅱ

2011年4月号 連載 [BOOK Review]
by 石田修大

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『渋沢栄一』Ⅰ・Ⅱ

『渋沢栄一』Ⅰ・Ⅱ
(著者:鹿島 茂)


出版社:文藝春秋(税込み 各2100円)

「我が国の商工業は政治のために蹂躙されており、しかも商業上の道徳は日増しに衰退しているではないか」――最近の政治の迷走を批判した演説ではない。120年ほど前の渋沢栄一の現状認識である。そのため彼は還暦での引退を思いとどまり、喜寿まで財界人として働きつづけた。

今さら渋沢、の感なきにしもあらずだが、坂本龍馬を気どったり、奇兵隊を名乗ったり、昨今の政治家は名を借りて格好をつけるばかりで、明確な指導原理を欠いている。だからこそ、ただ渋沢を持ち上げるのではなく、彼の思想や行動を具体的に検証した著作が、今こそ求められるというべきだろう。

明治の日本が短期間に資本主義化し、先進国と肩を並べられたのは、極端な言い方をすれば渋沢栄一という人物を得た奇跡のおかげ、と著者はいう。幕末の短期間、渋沢は徳川慶喜の弟に随行して欧州に滞在した。その間の見聞が実業人としての原点になったことは、よく知られている。だが、著者は「原点は欧州体験」の一言で納得せず、渋沢が何を見、何を考えたか細かく分析してみせる。

当時、第二帝政下のフランスでは資本主義が一気に進展したが、それを推進したのは産業人を主体に搾取なき社会を目指したサン=シモン主義者たちだった。幕末維新期の少なからぬ欧州体験者は先進的な文物や制度に目を見張ったが、渋沢は制度の背景をなす思想を理解し、我が物にしたという。なぜ彼一人が理解し得たのか。

藍作り農家に生まれて代官の理不尽な御用金申し付けに官尊民卑を体感し、フランスの官僚と銀行家が対等に交わることに感銘を受けた渋沢には、「そうとしらずのサン=シモン主義者」になる下地ができていた。帰国後、大蔵官僚として税制改正などに取り組み、野に下って株式会社方式(合本主義)の近代企業創設に取り組んだ渋沢には、「官」の金銭蔑視、民業軽視を打破し、その裏返しの「民」の没理念、没倫理を是正しようという意志が働いていた。そこに、意識せぬサン=シモン主義の影響が表れているという。

また渋沢は株式取引所の設立に尽力しているが、自身は「主義として投機事業を好まず」、手を染めなかった。そこに著者はアダム・スミスの自由放任経済における「神の見えざる手」を見る。利潤追求に奔走する人々に対し、渋沢が利益に無頓着な「見えざる手」として存在したことが、近代資本主義成功の一因というのだ。

渋沢に入れ込み過ぎの印象がないではないが、Ⅱ巻後半の家庭人としての詳細な記述を含め、渋沢の思想と行動のみならず、性癖を含めた個人像が丹念に描かれている。何かにつけて引き合いに出されるだけに、世間には型にはまった渋沢栄一像が流布しているが、没後80年、改めて明治日本の骨格を作った先人を知る好著である。

巻末に至って、一橋家家臣だった渋沢が、討幕を企てる御書院番士の逮捕に向かい、同行した新選組の土方歳三とやり取りをするエピソードを見つけた。同じ農家出身と知った土方が「君は若いのに理論も立ち、勇気もある」とほめたのを知って、おかしなものだが、渋沢が急に身近に感じられた。

著者プロフィール

石田修大

   

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