『「深層」―カルロス・ゴーンとの対話』

海外逃亡招いた「特捜的人質司法」

2020年6月号 連載 [BOOK Review]
by 竹田昌弘(共同通信編集委員)

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『「深層」―カルロス・ゴーンとの対話』

「深層」―カルロス・ゴーンとの対話

著者/郷原信郎
出版社/小学館(本体1700円+税)



昨年の大みそか。会社法違反(特別背任)などの罪に問われ、保釈中のカルロス・ゴーン元日産自動車会長が「私は今、レバノンにいる。有罪が前提で差別がはびこり、人権が否定されている不正な日本の司法制度の人質ではなくなった」との声明を発表し、世界中を驚かせた。その4日前の12月27日まで計5回10時間以上にわたって元会長にインタビューし、出版を考えていた元東京地検特捜部検事の弁護士、郷原信郎さんはしばし途方に暮れただろう。それでも気を取り直して仲介者に連絡し、1月半ばには元会長とテレビ電話で再会する。追加取材をしてまとめたのが本書だ。

内容は大きく、東京地検特捜部との攻防と日産の経営に分けられる。郷原さんは捜査について「特捜的人質司法」というキーワードを使う。通常の「人質司法」は逮捕容疑や起訴内容を認めないと、検察官は罪証隠滅のおそれを理由に勾留を求め、裁判官が認めて身柄拘束が長期化することを指すが、特捜的人質司法とは、どういうことか。

元会長は2011年3月期以降の8年間、自らの報酬をそれぞれ20億円前後とし、約半分は退任後に受け取ると決定したのに、有価証券報告書には、各期に受け取った分しか記載しなかったとして、金融商品取引法違反の疑いで、5年分と3年分に分けて逮捕、再逮捕された。

しかし再逮捕後、裁判官が実質的に同じ容疑だとして、10日を超える勾留を認めず、元会長は保釈される可能性が浮上すると、特捜部は急きょ、事件関係者がサウジアラビア人で、証拠収集が十分ではなかったとみられる特別背任容疑で3度目の逮捕に。追起訴後、元会長が保釈され、記者会見を告知するや、オマーンの会社を巡る特別背任容疑で4回目の逮捕に至る。

証拠不足の特捜部は全事件について起訴後も捜査を続け、裁判所はそれを制止せず、元会長に「特別背任の裁判開始は2021年か22年」と告げる。しかも共犯の疑いがあるとして妻子との面会もそれまで禁じたことから、元会長は海外逃亡を決意する。郷原さんは証拠が十分でないのに逮捕、起訴し、裁判開始を遅らせても補充捜査ができてしまう「特捜的人質司法」が招いた海外逃亡だと解き明かす。

一方、元会長が経営を語るところでは、相次いで部下に裏切られた無念さをにじませながらも、合理性を徹底的に追求するその考え方は、やはり卓越した経営者であることをうかがわせた。日本人に言いたいことを問われ「まず事実を見据えよ。言われたことをそのまま信じるな。現実を見よ」と答えたという。

本書を読むと、元会長が憎らしいまでに日本人のことを理解していたこともよく分かる。

著者プロフィール

竹田昌弘

共同通信編集委員

   

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