「大野病院事件」緊迫の法廷実録
2016年12月号
連載 [BOOK Review]
by 小松秀樹(元亀田総合病院副院長)
緊迫の法廷ドキュメンタリーである。扱われているのは、医療界のみならず、司法も揺るがせた歴史的大事件だ。著者の安福謙二弁護士が熱い。
2004年12月、福島県立大野病院で赤ちゃんが誕生し、母親がその直後に亡くなった。福島県は遺族に補償するため、調査委員会に過失の「捏造」を求めた。過失なしに、保険から賠償金を支払うことができないからだ。過失を認めた調査委員会報告書がきっかけになって警察が動き始めた。1年2カ月後、加藤医師は逮捕された。長期間の勾留と尋問で「落とす」ためだ。カルテも手術記録も警察が押収していた。コピーもない中で弁護団の活動が始まった。著者は弁護団の一人で、後に加藤医師の無罪を立証した。
加藤医師はひとりで、年間224件のお産を、365日のオンコールで扱ってきた。癒着胎盤はまれな合併症であり、対応は難しい。大病院でも救命できるとは限らない。「次に逮捕されるのは自分かもしれない」と、全国の医療者が震撼、各地でそれぞれ動き始め、大きなうねりになった。
著者が述べているように、法と医療では言語論理体系が異なる。法は違背にあって、自ら学習することなく、過去の規範に基づいて相手に変われと命ずる。医療は違背にあって、自ら学習し、知識・技術を増やして克服しようとする。法は対立を扱えるが、医療は正しさが未来に向かって変化するため、対立を扱えない。法と医療、二つのシステムがまじりあうことはない。
当初、クーパーというはさみの使い方が問題になった。法は、準則を設定し、行動がそれに則っているかどうかで正しさを判断する。権威の証言や教科書の記載が、準則の根拠となる。医学では、相当数の症例を、無作為に分けて二つの方法の結果を比較する。正しさが見出されたとしても、条件の限られた狭い正しさでしかない。医学的証明のないものについては、権威ではなく、論理の合理性が正しさの根拠になる。いずれも、他に押し付けられるような猛々しい正しさではない。そもそも、医学の正しさは仮説的であり、暫定的である。正しさは多様であり変化する。ゆえに研究が継続し、進歩がある。
生命は有限であり、医療は不確実であり、人間は間違える。理性で感情を制御することが困難である限り、医療をめぐる軋轢は永遠に続く。対立は裁判でしか決着できない。裁判に問題があるとして、医療内部で対立を扱おうとすれば、正しさが過去に固定され、医療は進歩を止める。多様性が奪われ、医療が機能しなくなる。
法システムと医療システムの正しさは異なる。この認識が共有されると、歴史が一歩前に進む。